金沢工芸普及推進協会とは?

石川県金沢市にある金沢工芸普及推進協会のホームページです。加賀友禅、金沢九谷などの伝統的工芸品や新しい取り組みを紹介。クラフト広坂では、販売や企画展を行っています。

加賀友禅
加賀友禅の起源は室町時代、加賀独特の加賀友禅の起源は室町時代、加賀独特の技法であった梅染(無地染)にさかのぼります。 かつて加賀は絹の産出国とされていたこともあり、小松産の絹が「加賀絹」として全国に知られるようになりました。加賀友禅は、その加賀絹に施された「加賀染」が源流となっています。 その後、扇絵師として京都で活躍していた宮崎友禅斎が加賀を訪れ、衣装の彩色を手掛けるようになり、「加賀友禅」の名称が生まれました。図案作成から始まる十以上の製作工程はすべて職人たちによる手仕事。いく人もの手を経て生まれる気品に満ちた美しさ、それが現在の加賀友禅です。
金沢九谷
金沢九谷は、約200年前から今日に至るまで、九谷らしい華麗な色絵を一貫して重んじ、新たな技術の開発に研鑚し続けています。現在、金沢九谷を代表とする木米風の絵柄は、他の伝統的絵柄と共に長く愛されています。金沢九谷の起こりは、文化三年(1806年)に、それより約150年前に廃窯となっていた古九谷窯に代わり、九谷焼を再興しようという意志の元に始まりました。金沢九谷の発端当初、技術者として京都青蓮院官の御抱窯として名高い陶工、青木木米を招きました。木米は九谷村の原石や金沢茶臼山の粘土を調合し、新生九谷焼の焼成に成功したといわれています。しかし、この時には良い土に恵まれず白磁の良品を生産するに至りませんでした。しかしその後、花坂陶石が発見され、現在に至るまでそれが九谷焼の原材料として使用されています。木米は翌文化4年(1807年)春日山木米窯を築窯しました。木米窯の製品は青磁・赤絵金彩・宋胡録・南蛮・高麗・仁清等に倣ったものと、木米創案のものがありました。木米が金沢を去った後、木米らに育成された名工が金沢九谷再興の担い手となり、それを惜しんだ加賀藩士武田秀平の呼びかけで、民山窯が開窯しました。民山窯では赤絵九谷の元祖となっています。九谷焼の魅力である鮮やかな絵柄は、時代とともに次々と新しいデザインが生まれました。今では、それらのデザインをもとに、多くの作家が活躍しています。
金沢仏壇
金沢は、蓮如上人の布教活動により浄土真宗が根をおろした真宗王国の地で、他の地域に比べて仏壇の需要が極めて高かったことがいえます。文明3年(1471年)、吉崎御坊(当時の南加賀)を来訪した蓮如上人は、加賀一円にその教えを広め、各集落に道場を建立。こうして設置された道場は加賀に住む農民たちにとって、信仰の場として、また寄り合いの場となり、自治組織としても発展していきました。それと同時に、御講(同一信仰者の組織)もできて、仏壇の需要が自然と芽生えていきました。 金沢で本格的に仏壇が作られるようになったのは、加賀藩三代藩主前田利常の頃。江戸や京都から名工たちを加賀藩細工所に呼び集めて、美術工芸の基礎を築きました。これを機に、多くの職人が住むようになり、木地師、塗師、蒔絵師、彫刻師の分業体制で制作が行われるようになりました。また、金箔の生産地でもあったことから、金箔をふんだんに使った蒔絵技術による荘厳華麗な金沢仏壇が作られるようになりました。